2025.8.3(日)
シーズンが終わりSと休みが重なった。
色々、虹鱒を釣りに行こうだのジムに行こうだの云っていたけれど結局疲れてしまっていけなかった。
代わりにお昼は近所の美味しいお蕎麦でも食べたいね、と云って家を出たけれど、立ち食い以外の蕎麦屋は基本日曜日がお休みで、暑い街のなかで昼ごはん難民になってしまった。
私はお腹が空くと本当に身体中の力が入らなくなってしみ、エネルギーが不足してしまうので、Sの歩く速度についていけなくて、Sから遅れて5メートルくらい後ろをとぼとぼ歩いた。よく母が家族でどこかへ出かけた時に、一人だけすぐに違うところへ行ってしまう父を指差して、「パパは一緒に歩けない人だから」と云っていたのを思い出す。Sもその傾向があるのだろうか。特に街に出るとスタスタと歩いて行ってしまうことが多い。
別にそのことに対して私も遅いのが悪いので特に思うことはないが、なんでだろうなあとは思っていた。
結局蕎麦屋は諦めて、いつも行く線路の向こう側のラーメンを食べて、買い物をして帰った。いつも通りビートルズがかかっていて、湯気がもくもくしていて、汗だくになりながら二人で食べた。
家に帰ってくると、sが頭が痛いといってすぐに寝てしまったものだからびっくりした。多分熱中症のような感じになっていて、体調が悪いことを知らずに暑いなか外を連れ出してしまって、しかも一緒に歩いてくれないことを不満に思ったりして申し訳なかったと思った。
そこから19時くらいまでsは頭痛でダウンしてしまっていたので、私は部屋をくらくして台所の灯りだけつけてm夕飯のピザのソースを作ったり、トッピングを気zなんだりした。でもsはもしかすると体調が悪いので食べられないかもしれない。そしてらピザ冷凍して雑炊でも作ろうかな、と考えていた。
ホームベーカリーで作った生地が出来上がったので、丸めて冷蔵庫に入れてsが起きるまで洗濯を畳んだり、本を読んだりしようとしていたが、sの足元で洗濯を畳んでいたら「手伝うよ」と云ってsが目を開けていた。
頭はまだ痛いらしく、それからぼちぼち話をしながら家事をしていると「だいぶ良くなった」というのでピザを焼く。4枚分の生地を作ってそれぞれ好きなようにトッピングをした。夏休みの夕飯みたいだった。駅前で買ってきたフランスのワインを一緒に飲んだりして、とてもおいしかった。
夜、色々とsにちょっかいを出したりして遊んでいたが、不意に静かになると訳のわからない寂しさが急に胸に積もって涙が出てきてしまう。
突然、さっきまで笑ってはしゃいでいた人が泣き出すので、sはギョッとして「どうしたの?大丈夫?」と驚きながら頭を撫でてくれる。
「急に寂しくなっちゃった。」
「自分がすごく難しいだけで、本当に気にしないで。」
「これは生理現象で自分にとってもずっと謎のもので、雨が降ったり、太陽が出たりするのとなんの変わりもない。同じことだから」と弁明しながも涙が出てくる。
Sはそう云ったことにあまり同じたそぶりは見せないので(多分。もしかするとs自身がヤングケアラーだったからかもしれない。)私が泣き出しても「精神安定剤でも口にポイっと入れようか?」とかいって笑わせてくれた。(今日掃除していたら、以前処方されたものが大量に出てきたため。)
実は、昨晩も全く同じような感じて泣いてしまって、こういうことが多少の波はあれど、週に3回ほどはある。
やっぱり、私は通常の人間ではない、明らかに心を病んでいる。
休日、ひとりのときはすっと泣いているし、本当に感情というのが自然のように制御できず、自分自身に災害のように不条理に降りかかってくる。
それを技術によってできるだけそうにかしようとこれまで訓練して頑張ってきたけれど、突発的に降りかかってくる直後はやはりどうにもできない。
これは、誰か甘えられる人ができたから以前より自分に対して制御ができなくなってしまったのではないか、とも考えるが、そういうわけでもない気がする。何故なら、ひとりのときはひとりの時で、夜な夜な泣いていたからだ。けれど、ひとりであればそのことを誰にも知られないので罪悪感がない。自分が不安定なことに対して誰かに迷惑をかけないか、面倒くさいと思われないか、嫌わないか、と思うことの地味な負担。これは人と関係を築いていく上では確かに引き受けなければならないことである。sと一緒にいることでとても安心する反面、その分一緒にいない時の不安も同時に得ることになる、それは必然なのだと。
こんなに当たり前のことでまだ躓く。
人生もう少しで30年くらいやっているのに、まだまだできないことばかり、すぐには受け入れられないことばかりで、躓く。本当に困ってしまうし、やはり嫌われたくない。