2025/08/04(月)
本当は出勤だったが、スケジュールの変更で休みになった。sは朝から仕事へ。今日は飲み会があるらしく、夜も遅いとのこと。
私はsを見送って、昼過ぎまで寝ていた。
太陽も傾いてきた頃になっておき、植物に水をあげて、昨日作ったシフォンケーキを食べた。今日の茶葉が歯に挟まるが、昨日よりしっとりしていて美味しい。
昨日からの続きなのか、精神が少し不安定だ。
外へ出たら焦げそうなほど日が照っていて、そのジリジリとした暑さが昔の記憶を触発する。
私にとって夏の記憶といえば島の日々。もっぱら、瀬戸内芸術祭の記憶と結びつく。
タレル、デ・マリア、内藤礼。
瀬戸藝における日本の文化への貢献は計り知れないものだったなと、歳をとってからますます痛感する。だってこんなにも思い出すのだから。美術を、一つの季節や旅路、人間のストーリーのなかにおくことに成功した、大きな例なのではないかと思う。
特に暑い夏に思い出すのは、犬島の柳幸典の精錬美術館。
三島由紀夫の『英霊の聲』をモチーフにした作品。
広大な夏の上にぽつんと浮かぶ島の孤独。
それが私の中でどこか戦争と結びついていて、黒い、暗闇のなかでモンシロチョウのように浮かぶにんげんの白目を想起させる。ジリジリと暑い外気の反面、暗くて硬い岩盤のなかのトンネルはひんやりとして寒いのだ。
日本の夏の記憶は5個を十手も、最終的には戦争につながっている。
平日の昼間に、ひとり、クーラーの効いた涼しい部屋にいて、部屋のなかは薄暗く、ベランダの植物たちがキラキラと光っているのが見える。
その幸福、申し訳なさで泣く。
戦争で苦しんだ人々の気持ち、夏を越せないほど精神を病んで、うまく生きれない人たちの気持ちが心の中でぎりぎりと痛んで、こんなことで泣くこと自体が恵まれたものの証だよと鬱陶しく思われたとしても、私はどうしたらいいのかわからないので泣く。ベランダのハーブを見て泣く。
ビルエヴァンスやフォーレを大音量で聴いて泣く。生きていてごめんなさいと思う。
心を病んでいる、こんなに幸せなのに、心を病んでいてごめんなさいと思う。
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クーラー効いた仄暗い部屋で
ベランダのハーブがキラキラと光っているのが見える
白いブラウスと共に
風に揺れている
それをみていて泣く
あまりにも心を病んでいる
アップルミュージックでビルエヴァンスやフォーレを流す
こんなに幸せなのに
心を病んでいてごめんなさいと思う
夏の日差しが網膜を焦がす